『遠野物語 奇ッ怪 其ノ参』という劇を見ました。

行けなくなっちゃったんでよかったら、と演劇のチケットをもらう。古来より、持つべきものは急に演劇に行けなくなっちゃう知人である、との言い伝えもある。そんな言い伝えはない。

 

遠野物語・奇ッ怪 其ノ参 | 主催 | 世田谷パブリックシアター

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「其ノ参」ってことは、其ノ壱と其ノ弐があったんだろうけど、知らなくても大丈夫でしょとのこと。そもそも演劇なんて見るの何年ぶりだというありさまなので、1や2があったところで知る由もない。四の五の言わずに見に行くしかない。

 

7時開始のチケットをその日の昼に外出先で突然もらうという、まあまあ急な話だったので、特に内容や出演者を調べもせずぼんやりした状態で、柳田國男遠野物語』の翻案という情報だけ持って見たのだが、予想をはるかに上回るおもしろさだった。

 

舞台となるのが、「標準化政策」なるものが施行され、方言の使用や、科学的な裏付けのない怪談や迷信などの活字化が禁止された日本に似たどこかという、ディストピア風の設定。主人公の作家ヤナギタは、遠野出身の青年スズキから聞いた奇怪な物語をまとめた書籍を出版したことを官憲に見とがめられ連行される。取調室では妖怪研究の権威である東大の教授イノウエが1対1で検閲を担当するのだが、イノウエはヤナギタ‐スズキのつむぐ不合理で摩訶不思議な話の数々に、反感を覚えつつ徐々に引き込まれていく。実はイノウエが「御用学者」と蔑まれながら非科学的な妖怪譚の根絶に熱意を燃やすのには理由が……というようなあらすじである。

 

コミカルさとシリアスさのバランスがとてもよくて、隣の席のおねえさんがケタケタ笑ったりのど飴を舐めたりするのにつられて、ぼくも笑ったりしんみりしたり、楽しく見られた。シームレスな場面転換とか一人の役者が役をころころと切り替えるとか、要するに複数人でわちゃわちゃと落語をやってるみたいな感じとでもいえばいいのかもしれないけど、演劇ならではだなあと感心した。

 

役者について、最初チケットをもらう際、「ナカムラトオル」知ってる? 「セトコウジ」は? と訊かれたときにはポカーンだったのだが、見れば知ってる有名人であった。とりわけスズキ役の瀬戸康史NHKのお菓子作り番組『グレーテルのかまど』のイケメンじゃん、『合葬』(杉浦日向子の同名漫画の映画化)にも出てたぞとなって、これではまるでファンだ。

 

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グレーテルのかまど』でにこやかにお菓子を作り続ける瀬戸氏を見たときは、イケメンがお菓子作りかよ、お前も粉砂糖にしてやろうか、という暗い気持ちに支配されていたものだが、間近で生の迫力ある演技を繰り出されると、役者、スゴイ、エライ、とあっさり翻意せざるをえない。しかしまあ、顔のいい男に演技まできちんとされたら、われわれ凡愚の民はいったいなにをよすがに明日からのつまらない日常を生きていけばいいのだろう。

 

このように、当然ながら演劇だって見ればやっぱり上質なおもしろさを提供してくれるので、じゃあ続けてどんどん行けばいいじゃないとは思うし、実際行ってみたくもなったのだが、おのれの乏しい財政状況を鑑みるになかなかきびしいものはある。もらったものの値段をうんぬんするのは非常にはしたないと分かったうえで、しかし7500円というのはなかなかの値段だ(いちばん安い席ではないが)。映画みたいに1日に4度も5度も上演するわけにはいかないから映画4回分くらいの値段なんだと言われれば、なるほど単純な算数だが、四則演算で腹がふくれたりへっこんだりするでもなし。

 

でも、だからお金に余裕のあるムッシュ&マダムでいっぱいなのかなあとか考えながら出かけたら、若い客もけっこう来てて、みんなえらいなあ、知らないところで人もお金もぐるぐるめぐるのだなあと、妙な感動をおぼえたのも事実だ。ぼくは何事にも消極的で世界がせまい人間なので、こういう機会に外部からの力でぐいぐいと了見が押し広げられたことには素直に感謝しなくてはならない。顔で瀬戸康史に勝てないなら、素直さで勝負をかける。瀬戸氏がめちゃくちゃ性格もよかったら? もはやなすすべがない。