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『エヴォリューション』という映画を見ました。

映画

「映画にとってネタバレは本質ではない」という意見はよく耳にするし作品によっては実際そうなんだろうけど、でもまあ、そこらへんはいまから見る人に決めさせたれよ、とは思いませんか。

 

12月7日、『エヴォリューション』という映画を見る。新宿シネマカリテは毎週水曜サービスデーで一律1000円。お財布にやさしい。だがはたして、お財布があなたにやさしいかどうか?

 

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服薬、食餌、病棟、注射、手術。ひとつひとつ、それら自体ははっきりと描かれるモチーフの群れを目にして私たちは、この島ではなんらかの治療あるいは実験、それもなにか、人間という存在の根幹を揺るがすような大それた類のそれが行われているということを悟る。けど、それだけだ。それが結局なにを目的としたものなのか、少年たちは誰でどこからきたのか、彼らを世話をしているのが女性だけなのはなぜか、島の設備は誰が整えて、島の外部はどうなっているのか、まったく明らかにされないまま、悪い夢のように美しくコンテクストを欠いた世界を見せつけられ続ける。情報を極度に制限された状態でその断片を必死に繋ぎ合わせていくうちに、ひょっとしてこの実験はほんとうに人類を救ってくれるものなのかもしれないと思い込まされそうになっていた。

 

コンテクスト抜きのテクストの羅列。つまりそれは、物語の舞台が外界から隔絶した「島」であることと同値だ。かつてカフカが、なぜという説明を欠いたまま(いつだってそうだが)、不気味な処刑器具の描写をただただ緻密に鮮明に、そしてこれ以上ないくらい無意味におこなったときのその舞台が、人里離れた「流刑地」であったことをふと思い出す。ただこの作品では少年と女性とが、この島に閉じ込められたまま「進化」のレールに乗っていてはいけないということに気づく瞬間がくる。ラストシーン、ひとりの女性の献身によって主人公の少年が「島」の外部へ、あるべきコンテクストへと投げ出されることによる解放が暗示され、ぼんやりと光がにじんで映画は終わる。しかしいったい、なにからの解放なのか? 島で行われていたことはなんだったのか? ほんとうに少年は島を出るべきだったのか? 少年の身にこれから起きることについて、見る者に与えられる情報は、またしてもゼロだ。

 

カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を、徹底的にグロテスクで不吉なイメージで上塗りしたような印象の作品とでもいうべきか。となりのおばさんは開始15分とたたず、ほんとぐうぐういいながら寝てたけど、となりのおばさん以外のみなさんにおススメします。

 

ちなみに同時上映で『ネクター』という短編もやって、それがまたなかなかおもしろかった。花を食べては甘い蜜を分泌する女性のお話で、自分で説明しといてなにそれという感じの設定なのだが、ストーリーらしいストーリーはない、これはこれで不穏に楽しい作品。にしても同時上映って、「ザ・ドラえもんズ」じゃないんだから。