『銀の匙』と等価交換

アニメ『銀の匙』を毎週楽しみに見ている。ほんと、これだけ優れた娯楽作品をぽんぽん作れる荒川弘という人は大した人だなと思う。漫画のほうも読んでみようかな。

 

ただひとつ『銀の匙』に関しては思うところもあって、それはつまり、『鋼の錬金術師』から引き続きの「等価交換」の法則が本作ではあまりにも堅固、かつ一面的に使用されているのではないかというちょっとした不満である。そもそも荒川弘がこの「等価交換」のアイデアをひねり出したのは彼女の青年期の農業体験によるものだろうから、農業がテーマの『銀の匙』でそれが採用されないわけはないのだが、この「等価交換」が殊「因果応報」「禍福はあざなえる縄のごとし」「人と人、人と自然はお互い支え合って生きている」的な教訓としてのみ現れてくると、いささか退屈を感じないではない。登場人物が全員そのルールに従順な善人ばかりなので、作品世界は完璧な調和を保ったままぐるぐると回り続ける。それは幸福なことだが、どこの無葛藤理論だよとツッコミを入れたくならないでもない。『銀の匙』がどことなくユートピア小説じみて見えるのは、要はそういうことだ。

 

適当な話、いま世の中で頭一つ抜けてヒットするためには作品内の世界を支配する仕組みとの対決(世界政府をぶっ飛ばすとか円環の理を書き換えるとか巨人倒すとか)という構図が必要で、例えば「ループもの」という共通の設定を持つシュタゲとまどマギを比較したとき前者になくて後者にあったのはそれだし、村上春樹がやおら「システム」とか言いだしたのもその流れなんだろう(どっちが先か知らないが)と思う。ウエルベックの『素粒子』とかもそうね。そうなるとこれ別に日本だけの現象というわけでもないのかもしれない。

 

というわけで、『銀の匙』で今後誰かが一度「等価交換」という唯一絶対のルールになんらかの形で異議申し立てをするのかどうか、最終的に調和を取り戻すにしても、ある種のスパイスとして世界に破綻が生じるのか否か、そこはちょこっとだけ注目してみていこうと思っている。別に今のままで十二分に面白い物語だし、あらゆる作品が社会現象にならなきゃいけないわけではもちろんないし、八軒くんと御影ちゃんのいい感じにいい感じな感じは僕的には最高ですけどね。