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『エクス・マキナ』という映画を見ました。

日本での公開が決まるずいぶん前にたまたまメイキング映像を目にして、とてもおもしろそうだと思っていた『エクス・マキナ』が、ようやく日本の映画館でもかかった。新宿のシネマカリテは水曜がサービスデー。1000円。

 


映画『エクス・マキナ』予告編

 

人工知能エヴァ」を開発したプログラマー社長に対し、部下である主人公が物語の冒頭で、これは神にも等しい行いかもしれないとおべっかめいたことを言ったり、プロットの主要部がDay1からDay7へと続く1週間の出来事として構成されていたりと、本作が人工知能の作成を、聖書の神による人間の創造という陳腐なアナロジーで語ろうとしていることは明々白々なのだが、しかしその陳腐さとはおそらく、あるひとつの錯誤へわれわれを導くための制作者の、あるいは、映画中の言い回しを借りれば観客をミスディレクションする「手品師」の用いる小道具ということになるのだろう。映画ラストのどんでん返し的な展開をもって、古代ギリシャの演劇手法である「機械仕掛けの神」から取られた題名の根拠とする感想にネット上でいくつか行き当たったが、それだけだとすこし説明不足の感をおぼえる。というのもぼくには、そうした説明では見過ごされている、そもそもこの映画のタイトルが『デウス・エクス・マキナ』ではなくて『エクス・マキナ』であるということ、つまりこの映画という機構の内部には「デウス=神」など端から存在しないということが、とても重要なことのように思われるからだ。ではいったい、「機械仕掛け」なのは誰/何か?

 

言わずもがな、人間と機械、人間と物(自然)を分かつ境界線の不安定さに起因する恐怖や不安、そしてそれに対する「傾向と対策」みたいなものは、おそくとも17世紀、わたしたちの住むこの世界を神によって緻密にプログラミングされた自動機械とみなしつつ、その内部に、人間だけが出入りを許された「魂」という特権的な(そして非常に窮屈な)居場所を確保しようとしたデカルトからずっと練られ続けていて、べつにいまさら騒ぐようなことでもない、そう言ってしまえばそれまでだ。それまでだけど、とはいえ囲碁や将棋の世界でトッププロが立て続けにAIにボコボコにされ、人工知能に対する期待と恐怖心がない交ぜになった関心がふたたび盛り上がっている昨今、哲学者でも技術者でもないぼくのような人間の玄関先にまで、そうした問題が切実さをもって迫っていきているのが事実なら、いっそエンタメの力も借りて、できるだけ楽しく騒ごうじゃないかというのは悪くない提案である。やんややんや。

 

物語の核心にはめいめいで触れたほうがいいと思うのですこし話を逸らすが、日本でもけっこう翻訳紹介がすすんでいるロシアの現代作家V・ペレーヴィンの2011年の長編に『S.N.U.F.F.』というものがあって、これにもガイノイドセクサロイド)の反抗というモチーフが登場する。

 

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『S.N.U.F.F.』の主人公は、年端もいかない少女を模したセクサロイドに対して非常に乱暴に、支配的にふるまうクソみたいな男として描かれているのだが、あるとき彼がその少女=セクサロイドに、たしかにわたしたちは物理的にプログラミングされただけの機械かもしれないけど、あなたたち人間の行動だって、脳内の化学物質の働きによってあらかじめ規定されているんだから、そこに大した違いはないじゃない? という理屈を披露され、たじろぐシーンがある。この小説のおもしろみは、強圧的な上下関係、支配/被支配の構造が、バカバカしい(これ大事)ストーリーのなかで徐々にグズグズになっていくところにある。

 

エクス・マキナ』で似たような議論が、主人公とプログラマー社長の間で交わされる場面でぼくはこの小説を思い出して、まあこの種の問題に関して専門家としてではなくあくまで創作者としてたずさわるなら、理解できる範囲で依拠する思想なり哲学なりも共通してくるわけで、似通った議論が提出されるのも無理はないわなとは思った。人工知能と性のかかわりが重要なファクターであるところまでそっくり。

 

これ以外にも、SFにも映画にもまったく詳しくないぼく(いや、マジで)ですら、『エクス・マキナ』で語られるテーマの系譜を構成するであろう作品を、ジャンル横断的かつ無作為にではあるがいくつも(それこそホフマン『砂男』から吉浦康裕イヴの時間』まで)パパッと挙げられるくらいだから、こうした方面により詳しい人から見れば、すでに述べたとおりテーマ的な新規性によって驚かされるということはないのではないかと思う。

 

しかし大事なのはもちろん、そのよくあるアイデアが映像によってどう表現されているかであって、こういう社会的・政治的・学術的にホットな話題を盛り込んだ作品を作ろうといって、ガチャガチャしたアクションとは異なる可能性として、きちんと見ごたえのある映像を作れる人たちというのはたいしたものだなあと、すごく素人くさい感動は覚えた。最初にトレーラーを見たときのワクワク感は裏切られなかったということになる。『エクス・マキナ』、いちおうカテゴリーとしてはスリラーということらしく、たしかに色や音の演出は露骨にビビらせにきているなという感じがあったし、ぼくはこわい映画がひたすらに苦手なので、やめてくれと思った。